最初のパソコンTK−80


神戸大学医学部5年生の時、基礎配属で第2生理学教室で勉強させて
もらいました。その時、脳波の解析にミニコンピューターを使ったのが
コンピューターとの初めての出会いでした。
言語はフォートランで、大きさはちょうど事務机位のミニコンでした。
紙テープに穴を開けて、この命令をカタカタと読み取り機で入力し、出力も紙テープでした。
人間に聴覚刺激を与えて、脳波の周波数変化をフーリエ変換で調べるという実験でした。
確か教授が「このコンピューターは数百万するが、
今どんどん安くて性能が良いものが出ている。」と言われていました。

無事に卒業した昭和51年、NECが日本初のワンボードコンピューター、TK-80を
売りに出しました。この時は大学病院の研修医で全く金が無く、
「へ〜、個人でコンピューターが買える時代になったのか」と驚いていました。
翌52年に神戸中央市民病院の研修医になり、夏に
ボーナスが出ました!
というわけで、TK-80を購入できました。(廉価版のTK-80E)


驚くべき事に、このコンピューターは自分で部品を基板にハンダ付けするのです!
 TKとはトレーニングキットの略で、動き出すまでが大変なのです。

入力は5X5のボタン。出力は8個の7セグメントLED。つまり8桁の数字が出力です。
言語は機械語。ユーザーズエリアは確かたったの0.5K。
プログラムを入力するまでが滅茶苦茶大変なのです。
それでもいくつかのソフトを作り、楽しんでいました。(高いおもちゃだ)
NECがBIT INNという購入者支援組織を作りましたが、確か私の会員番号は500番位でした。
この頃のノートを見ると、理解不能の内容が確かに私の字で書いてあります。


すぐにNECはBS(ベーシックステーション)というボードを売り出しました。
今度はハンダ付け不要でした。(笑)
これを接続すると、キーボードが接続でき、高級言語BASICで入力が可能になり、
家庭用テレビに出力可能になったのです。
外部記憶装置としてカセットテープデッキが使えるようになりました。
やっとコンピューターらしくなりました。これで、患者さんの管理、統計などを行っていました。
  

箱の中はTK-80の基板とBSの基板が2枚がさねになっています。箱はサードパーティー製。
30年ぶりに電源を入れてみましたら、セグメントは点灯しましたが、
テレビは写りませんでした。残念!
TK-80の後NECは8000シリーズ、98シリーズ等で日本のパソコン界を席巻しました。
私も98を使用していましたが、Mac Performa550に感動してから現在まで主にAppleの
コンピューターを使用しています。