この文章はNHK-BS1のインターネット・ディベート「医療・待った無しの改革」に投稿した内容に加筆したものです。

  平成13年10月30日記す

正常化する医療費

-------日本の医療費は安い!------

 日本の医療費は無駄や不正が多いと言われながらも先進国の中で対GDP比は最低ですし、有名病院でもたった三時間も待てば誰でも診て貰えますし(以前のイギリスでは何週間も待たねばなりませんでした。世界的に見れば、一般国民が医療を受けられない国の方が多いのです)、世界最高の平均寿命と世界最低の乳児死亡率から見れば日本の医療の平均的な質は世界最高といえます。安いコスト、アクセスのしやすさ、そこそこ高い質の三つを日本人は今まで享受して来ました。

 他の国で不可能だった安い医療を可能にした原因を考えてみましょう。

 

(原因1)日本の今までの医療保険制度が良くて、誰でも軽症の段階で医者にかかる事ができました。日本では当然ですがこのことは世界的に見て希有な事です。おかげで重症化する前に治療できて、その結果医療費が安くすみました。医療機関も医療費の取りっぱぐれがなかったのは助かりました。お金のない病人からお金を取るのは気が重いですから。

(原因2)医療機関は十分な人を雇ってきませんでした。米国では薬剤師、看護婦、検査技師、ケースワーカー等色々な専門職がたくさん病院にいて、医療を担っています。日本ではそれらの専門職がすべき仕事の多くを医者がやってきました(当然医者の数も不足していて、研修医という若い経験不足の医者を安い給料でこき使ってきました)。専門職を雇えばコストがかかりすぎるからです。そして医者が全てをやる事が専門職の給与を低く抑えてきました。医者も十分な数がいないので、全員が朝から晩まで走り回り、他国の医者が驚く数(5〜10倍)の患者を診てきました。医者を含めて十分人を雇って来なかったから医療費が安くすんだのです。

(原因3)人間はある確率で間違いを犯すのに「ミスは本人が精神的にたるんでいるからだ」という精神主義のため、間違いを二重三重にチェックするシステムを作りませんでした。ミスが起こればみんなでうやむやにしたので、何重ものチェックシステム(当然お金がかかります)や訴訟にかかる費用を節約できました。道徳的に良い悪いは抜きで、安くすんだ事は事実です。ミスの少ない医療はお金がかかります。訴訟でお金がかかる医療はその予想されるコスト(医療訴訟保険を含む)を医療費に上乗せしますので高額になります。今後この分野のコストが増大するのは避けられません。

 同じ薬でも、投薬ミスの確率が1千分の1の病院と1万分の1の病院ではかかっているコストが違う事を理解して下さい。(勿論0にはなりません!)

(原因4)今まで患者さんへの説明は時間や手間がかかるので省き、患者さんのお好みの治療法は聞かずに主治医のお薦めメニューだけを押しつけてきました。説明にも当然コストがかかるし、メニューを取り揃えるにもコストがかかります。インフォームド・コンセント(説明と同意)やカルテ開示には大変なコスト(人件費)がかかる事をご理解下さい。1日に100人も200人も診察する医者が、一人に30分から1時間かけて病状を説明する事や、誰にも読めるカルテを丁寧に書く暇がないのは当然でしょう。

 場末の定食屋で、「食材の説明がない、肉の焼き具合をオーダーできない」と怒るのはナンセンスです。そのようなサービスは一流(高額)レストランでしてもらって下さい。

(原因5)治療に直接関係しない投資は医療保険で対価が十分請求できないので、極端に制限されてきました。狭く汚い病室に6人も病人を押し込んで、付き添いがベットとベットの間の狭い隙間で寝ていても無視、冷たい夕食が5時に出ても平気でいたのは、病院経営者と医療保険の両方の責任と言えますが、おかげで安い医療が可能になりました。

(原因6)その他安い医療費にはいろいろな原因が考えられます。今まで日本人は若い人が多かったので病気になりにくかった事。日本食は幸運にも世界的に見て健康に良い食事であった事。下水道などの衛生状態が良かった事。その他にもたくさんあると思います。

 第2次世界大戦時の日本の零戦は、速度、回転半径など飛行性能は世界一流でしたが、燃料タンクやパイロットの周辺に何の防護もなく、弾が心臓部に2,3発当たったらすぐ墜落する欠陥戦闘機だったと言われています。日本の今までの医療も、安全性や快適性を無視したいびつな欠陥医療です。ぎりぎりの人材と財源で見た目だけアメリカ並の医療がなされていたのですから、まさに毎日が綱渡りだったと言えます。

 今や世界一の金持ちになった日本人がこのような医療に満足するはずはありません。世間並みに(米国並みに)コストを払うのは当然だと思います。「増大する医療費」は「正常化する医療費」と言うべきで、今までがひどすぎたのです。

 しかるにこれだけ安い医療費すら払えないほど、医療保険制度は疲弊しています。コストを取るか、質を取るか、国民の選択が迫られています。

 医療事務のコンピューター化、電子カルテなどによる事務経費の削減を政府は求めています。勿論必要なことです。しかし安全性向上のための投資はその何倍もかかる事を政府は知っていても言いません。医療の質の向上、それは必ずしも先端高度医療を意味しません。患者さんの取り違いを減らすためには看護婦の数を増やし、薬の投与ミスを減らすためには薬剤師の数を増やす事が質の向上なのです。そのためには医療費は今より高くせざるをえないのです。


本音 (H14.11.2加筆)

 日本の医療保険は「出来高払い制」です。検査すればするほど、薬を出せば出すほど売上が増えるという信じられないシステムです。(その代わり、患者さんの症状急変には迅速に対応できるシステムです。アメリカの様に新しい病名が加わったら保険会社の許可がないと治療できないのは困ります。)

 しかし、一部の極端な病院を除いて、多くの医療機関は極めて平均的な医療をしてきました。おかげで日本の医療費は大変安くすんできたのです。何故大部分の医療機関が良心的だったのでしょう?医師の職業倫理が優れていて、不必要な治療はしなかったのは事実ですが、、、。

 私は上記の原因以外に、医師会の役割も大きかったと思います。無茶をやっている所に、周辺からじわじわと「ちょっと目立つよ」とか、「おたくの平均点は高すぎる」とか、圧力がかかります。狭い村社会ですから、大抵の人は平均に合わせようとします。まあ、昔の隣組みたいなものですね(多少足の引っ張り合いみたいな面もありますが)。しかし最近は医師会に入会しない医師が増えてきて、この歯止めが効かなくなっています。

 またレセプトのチェックは現在各県の支払基金と国保連合に集約されていますが、これも医師会推薦の多くの優秀な医師が(安い報酬ですが名誉職とあきらめて)平均点の高い医療機関を重点的にチェックしています。これを保険者ごとのチェックに変えるべきだという意見があります。これは1枚1枚の小さなミスのチェックはできますが、ある特定の医療機関の平均点などをチェックができなくなりますので、医療費は増加する可能性が高いと思います。